その頃、エマはというと、走って走って、気付いた時には、記者の会社の前にいました。
迷惑をかけてしまうと思いながらも、エマは、この状況に耐えられず、会社の扉の前でうずくまって泣き出してしまいました。

リリーは、誰かに気付いてもらえるように、扉に向かって体をぶつけました。
ドンドンッと、リリーの体当りする音は、会社の中まで聞こえてきました。尋常ではない状況に気付き、真っ先に、あの記者が来てくれました。
エマの泣き崩れている姿を見て、理由を聞かなくても分かる気がしました。そして、いつかはこうなるのでは・・・とも思っていました。
記者は静かにエマの肩を抱いて立ち上がらせると、無言で会社の中へ招き入れました。
心配そうにしているリリーに向かって、「大丈夫だよ」という気持ちを込めて、ウインクをしてみせました。
完全に体を預けるような状態でついてきたエマに、記者は自分のデスクの椅子に座るようすすめました。
社内は、幸いなことに皆仕事で出ているのか、誰もいませんでした。
エマが、下を向いて泣き続けている間、記者はキャビネットから何かの用紙の束を取ってきました。
「これを見てみて」
そう言って記者は、その用紙をエマの前に広げました。
エマは涙を流していたため、文字がぼやけてよく見えませんでした。ハンカチで涙を拭いながら、その用紙に触れました。
その用紙は、雑誌の原稿の元となるもので、しかもその中には、王子直筆の手紙も含まれていました。
手紙の内容は、全てエマに向けられたもので、愛のこもったメッセージが沢山書かれていました。
手紙に目を通していたエマは、また涙が流れてきました。
こんなにストレートに、人からの愛を感じたのは初めてです。
森で会った時、エマは王子を無視してしまったことを後悔していましたが、王子はそんなことは気にせず、エマに向けて何度もメッセージを送ってくれていました。
最初の頃は、「会いたい」という内容でしたが、それ以降は、エマに対する愛や尊敬の念が込められた言葉で溢れており、ストレート過ぎる愛情表現に、エマは恥ずかしくなるくらいでした。
エマは、王子の愛の言葉に今すぐ返事を返すのは無理とは思いましたが、直接会って感謝の気持ちを伝えたくなりました。
「それから、これ。明日発売される予定の雑誌だよ」
そう言って記者は、エマの前に、雑誌「SEASONS」を広げました。
今回も、数ページにわたってエマの料理の特集が組まれ、掲載されていました。
エマは、この雑誌を見る度に、恥ずかしくて、心がくすぐったくなるような感覚になりますが、毎回一ページ一ページに記者からの愛情を感じ、感謝の気持ちでいっぱいになります。
でも、記者が見てもらいたかったのは、いつもの料理のページではないようです。
記者は、少しいたずらっ子のような表情を浮かべながら、ページをめくりました。
エマは、その記者の表情にどういう意味があるのだろうと思いながら、よく見てみました。
右ページには、エマの後ろ姿が写っています。
左ページには、王子らしき人の後ろ姿が、同じように写っています。
そして、二人の腕から下の部分が、くっつき合うように、ほぼ左右対称で伸びています。
それが、雑誌を開いた時の中央部分、つまり、見開きのページの隠れる部分を活かして、手を繋いでいるように見えるのです。

そのページと、記者の得意げな表情から、エマは意図を理解しました。
エマが望むように、エマ本人の顔は撮影せず、それでいて、王子からの愛の気持ちは伝わるよう、見開きのページに二人を一緒に載せたのでした。
王子と記者、それぞれの愛の表現が熱くて、面白くて、エマは思わず、ふふふっと笑ってしまいました。
ピンポーン。
突然、会社のチャイムが鳴りました。
記者は立ち上がり、エントランスへと向かいました。
話し声が聞こえてきましたが、エマはリリーを抱きながら、雑誌をめくり眺めていました。
自分の姿が雑誌に載っていて、更に王子様からなぜか気に入られ、愛のメッセージまで送り続けてくれるなんて・・・今でも信じられないことです。
この一年間、エマの生活は激変したのだと、改めて感じました。
これまでを振り返り、深く感じ入っていたら、いつの間にか記者が部屋に戻ってきていました。そして、もう一人男性を連れています。
誰だろうと思い、その男性をよく見ました。
会ったことがある気がしましたが、その男性は、以前、エマがこの会社内で撮影のための料理をした時、食べに来てくれた社員の一人でした。そして、一番多く食べ、エマを笑わせてくれた人でした。
ただ、今日は、スマートにスーツを着こなし、上品さ、気高さが感じられる独特の雰囲気を放っており、以前の印象とは全く異なります。
貴族らしい品格を感じられるこの男性を見て、エマはハッとし、森の中で初めて雑誌記者と会った日のことを思い出しました。
あの日、後から現れた別の男性に話し掛けられ、怖くなったエマは逃げ出してしまいましたが、この時会った男性が、今目の前にいる人であり、また、これまでを振り返って推測するに、王子様ではないかと思えてきました。
エマは、この状況が飲み込めず、困惑し、青ざめた表情で後ろに下がりました。
まずは説明が必要だと思い、記者は整理して話してくれました。
どうやら王子は、初めて会った時から、所作が美しいだけでなく、穏やかな雰囲気の中に、他の女性とはまた違う魅力と癒しをエマに感じ、惹かれていたのだそうです。
また会えることを期待していたところに、たまたま雑誌記者の男性と出会い、王子は自分の素直な気持ちを打ち明けていました。
記者は、心のまっすぐな王子に少しでも協力してあげたいと思いました。また、この男性ならエマにお似合いだと思えました。
王子の気持ちとエマの環境を優先しつつ、どうしたら二人の関係性を近づけられるだろうと考えた時、雑誌「SEASONS」にそれぞれを載せることで、直接会わずとも気持ちが通うのではないかと思えました。
熱狂し、盛り上げてくれた読者の存在も大きく、これは記者にとっては予想外のことでしたが、結果はこの一年でしっかりとあらわれ、また成功したといえます。
また、エマが会社で料理を作った日、王子が雑誌記者の同僚の一人として参加することにしたのも、記者の案でした。
エマが警戒することのない環境にいながら、身分など気にせず、少しでも二人が交流できればと思ったのでした。
ところが、エマのペースに合わせながら、二人の若者の関係性が、ゆっくりと、少しずつ縮まっていく中、エマと義理の家族の問で、トラブルが起こってしまいました。
これ以上、この環境にエマを置いておくのは危険だと判断した記者は、まずは、気になっていたエマの生い立ちを調べました。
なぜエマの過去が気になっていたかというと、十数年前に、我が国の王家の中で、何らかの不穏な事態が起きているのではないかと噂されていたことがあったからでした。
それは、病弱な王女の命が危ないらしいと言われていたり、またはそうではなくて、盗人によって宝石が盗まれたらしい等、憶測が飛び交っていた時期でした。
そのため、エマがエメラルドのペンダントを持っており、また、ペンダントの持ち主だった母とは一緒に住んでいないという話を聞き、関連性を調べる気になったのです。
そもそも、気品あるエマの貧しい生活に、ずっと違和感しかなかったのも大きな動機といえました。
これまでの仕事の人脈を頼りながらも、記者なりに調べた結果、やはりエマは、この国の王女である可能性が非常に高いという結論に至りました。
そして、これまでの流れと調べあげた内容を、記者は王子に話し、相談しました。
この王子は、実は隣国の王子で、エマ達が住む国とは仲が良く、盛んに交流がありました。
そのため、エマが赤ん坊だった頃の事件の話も、王子は当然知っていたのです。
むしろエマの両親のために、幼い頃から、王子は王女探しを手伝っていたそうです。
ざっと簡単に説明してくれた記者が、王子とエマを見ながら、一呼吸おきました。
すると、王子がポケットから何かを取り出しました。なんとそれは、エメラルドのペンダントでした。
どうやら、エマの継母の家に行って話をした際に、受け取ってきたようです。
「このエメラルドが似合うのは、君だけだよ」
そう言って、王子はエマの後ろに回り、ペンダントを付けてくれました。
エマはドキドキしました。
この先どうなっていくかはわからないけど、何も望むことはなく、もう十分このままで幸せだと思えた瞬間でした。
